外来点描 2011年4月

外来点描 2011年4月

今年の桜の開花は遅かった。東小学校の桜は、入学の頃、例年は、満開であるのに、2分咲きといった所であった。10日は遅かった様に思う。
また、4月にしては例年になく外来患者数が多い。こんなに忙しい4月は経験したことがない。胃腸炎とインフルエンザB型が多く、4月も月末というのに、学年閉鎖、学級閉鎖も新たに出ている。長い連休となってしまった。気になる気象の変化だ。

外来患者の少し途切れたときに、組んだ両手を頭の後ろに回し、ああ疲れたと、リクライニングのように背を反らす。そして、すこし横向き窓を見やれば、連翹の黄が西日に映えて鮮やかに目に付いた。毎年ある不思議な気分をもたらすが、幾分怪しげでさえある燃える連翹の黄に、今年は、東日本大震災の万を超える死亡者の霊のうごめきを感じていた。
「お願いします」と次のカルテが運ばれてきて、姿勢を正し、腕を解いて、診察を再開。

あれ、カルテが溜まってきた。このところ、土曜日の午後5時を過ぎてからの患者さんが多い。土曜日は午後休診の医院も多いからだろう、隣市からの新患も少なくない。そして、その時、歴史は動いた。名張市からの初めての3歳の子どもで、両親に連れられ受診された。「どうされました」と母親に問えば、「いつもは近くの小児科を使っているのですが、・・・・」。なに、血の気の引く思い出あった。冷静を装うのに精一杯であった。「使っている」、この用法、初めてだ。小児科臨床医となり35年とならんとするが、未だかつて聞いたことがない。「診て頂いている」あるいは「診てもらっている」であったはずだ。

言葉は生き物であり、時代と共に変化し、時代を反映する。新たな用法の使用開始時期を記録しておくことは大切である。「小児科医院を使っている」、この用法は伊賀地区に於いて、忘れることはない。東日本大震災の年の4月に記録されたのである。ついにというべきことかも知れない。その予兆はあった。当院では未だ変わらず「さん」付けで呼んでいるが、数年前から世間では広く、「何々様」とお呼びしている。そうなれば、下請業者を「使う」如く、「医院を使う」という用法も同じ線上にある。そうゆう時代であり、
我が小児科医院も、皆様に使っていただける医院を目指さなくてはいけないのである。

 

診察室の椅子は、毎日使うものであり、こだわりたいものの一つであるが、気に入るものは少ない。患者さん用と私の使うものとは同じ椅子であり、動きやすいように肘置きのないもので、座面はビニール製にしている。ギーギー音がすれば替えどきで、5~6年で交換することとなる。同じメーカーのものでも廃盤となり、新シリーズとなっているのだが、軽量化とともに概して安っぽくなっている。
「あ、またか」と、このところ診察室での患者用の椅子の座面に穴が開く言が多い。新品に入れ替えて間もないのに、いたずらかとも思ったが、はっきりしない。そして張り替えてもらったばかりなのに、また穴だ。
これか、と診察中に原因が判明した。若い父親のズボンの後ろポケットに差し入れ、飛び出た車のキー。子どもを抱いて座ったときにこのキーが突き刺さるのだ。本人も全く気づいていない。これからは、ズボン後ろのジャラジャラを見つけたら、気を付けて、防衛しなくてはならない。

いまどきのファッションで、クールかどうか知らないが、ジャラジャラと鎖やキーなど多く、ズボンの後ろポケットから溢れて、そこには、財布も今にも落ちそうに突き刺さっている。口には出さないが、財布を落とさないかと心配でならない。

前の記事

ベッドのそばの母に声

次の記事

百地砦と式部塚のこと