私の散歩道

散歩が日課となって十年ほどになる。スマートフォンで一日歩数を確認するようになってからは、一日一万歩を目標と定めた。今では、苦もなく習慣となっていて、おかげで体調も良い。
散歩すべきと意識したきっかけは、健診結果の予期せぬ肝機能異常。仕事も休まず、何の自覚症状も無かったが、肝機能異常が見つかった。肝臓エコーはギラギラで、非アルコール性脂肪性肝炎との診断。これは大変と、ウォーキングを始め、また、過食に気を付け、毎朝のヨーグルトも脂質0gの明治R1に変更した。すると、肝機能も回復したが、散歩がおろそかになり、体重が増えると、肝機能数値も悪化した。生体は正直で、体重維持と日々の運動習慣が重要であると認識を深め、以後、その継続に心がけている。

台地にある上野の市街地、その南端に我が家が在る。散歩は、市街地を背にして、約2km先の森林公園の方へと県道56号線を南に進む。名阪友生インターを高架で渡り、わずかな下りとなって南にそして東へカーブして進む。車道とは植え込み分離帯で隔てられた広い歩道を、録画番組を取り込んだウォークマンを聞きながら、細い木枝を杖代わりにして歩く。この木枝、蜘蛛の巣を払ったり、虫を避けたりと案外役立つ時がある。1kmほど進み、信号を右に曲がれば、伊賀ゆめポリス入り口。

伊賀ゆめポリスは、地域振興整備公団により昭和63年より造成開始されたもので、人口約5000人の住宅地域とロート製薬など二十数社の企業誘致地域から成り、隣接する県立の森林公園と一体となっている。幼稚園、小学校も設立されていて、私が園医、校医を務めている。

このゆめポリス入口の歩道の横に、人が輪になり繋がるステンレスモニュメントが建っている(写真1)。優れた作品であるが、作者名の記載無く、気になっていたが、先日、1951年生まれの後藤良二氏であると知った。人間をサークル状に連続して配置する作品に定評がある。
このゆめポリス入り口からも歩道を持つ幹線道路が南に続く。200mほど進めば折り返しまでの中間点となる下友生橋がある。欄干には、旅する芭蕉の銅板レリーフと、芭蕉の句の銅版4枚がはめられている。(写真2)

「世を旅に代かく小田の行き戻り 芭蕉」

「川上とこの川下や月の友 芭蕉」

「五月雨も瀬ぶみ尋ねぬ見馴川 芭蕉」

「みな出て橋をいただく霜路かな 芭蕉」

これらの句を読みつつ歩くのだが、伊賀上野には新旧さまざまな形の芭蕉の句碑が60以上も建てられている。
この下友生橋からは、季節ごと変わる田園風景が広がり、その向こうには盆地を囲む山並みが見渡せる。私はここで立ち止まり、欄干に手を添え、しばらく眺めている事も多い。
橋の下は、東から西に流れる久米川。30年ほど前、この川の改修に当たり、単にコンクリートで固めるのではなく、生態系をできるだけ崩さぬ工法を用いるべきとの議論があって、多自然型川づくり(近自然工法)が採用された。瀬と淵を保存または再生されていて、流れも単調でなく、野鳥もよく来ている。実際水中生物も多いのであろう(写真3)。この近自然工法の考え方は、子育てについても必要な観点ではなかろうか、そんなことも考えた。
この川に沿う堤の道は、車は滅多に通らず、ゆっくり散歩する人もよく見かける。そこを
駅伝で名高い白鳳高校陸上部の生徒達が声を出して駆け抜けていく。

 

橋の上、向き変え東を望めば、左右に連なる布引山脈が見える。その中央、青山高原に風力発電の白い羽根が回っている。直線で15kmほど離れていてもこれだけ見えるのだから、羽根は相当巨大なはずだ。それにしても、いつの間にこんなにも増えたのか、40基ほどある。国定公園にあり、当初、いろいろ問題となったが、一度認可されれば、増設は特に問題とならないのだろうか。低周波障害や、オオタカへの影響など、その後どうなったのか。
この青山高原の風力発電は、日本最大で、伊賀市の全世帯の消費電力をゆうに賄える発電量との事だ。毎日、遠く峰に並ぶ風車を見ているが、休まず回っている。風力発電に適した場所なのだ。いつも時計回りであるが、年に1,2度、「あれっ」と反時計回りの事がある。天候悪化の時である。
橋から200mほど進めば、三重県立上野森林公園入り口があり、そこを過ぎ、左にカーブして森林公園の北部を横切るかたちで東に進む(写真4)。ツツジの植え込み分離帯のある広い歩道が続き、五月にはそれが一斉に咲き誇る。歩道の右側は山が接しており、頭上にまで木の枝が伸びている。秋には栗も落ちている。イガグリのままなら靴で踏みつけ取り出してポケットに入れる。週末に来る大阪の孫に見せれば大喜である。

木々の色は季節を映して変わりゆく。桜が過ぎて、ハチクがぐんぐん伸びて、若葉が萌えるこの時期、森の植物の匂いがする。モミジが色づく頃には、遠くの田んぼで藁燃やす匂いなど風に運ばれてくる。鳥の声もよく聞くが、ウグイス以外はその鳥の名前を知らない。また、季節、季節に花つけ,迷ったような蝶が舞う路端の植物も、タンポポ、レンゲ、アザミ、位で、見慣れたものでも名前を知らない。これまで調べて覚えようとしなかった結果だが、もっと、鳥や植物の名称を覚えておけばよかったのにと今にして思う。

 

森林公園内を800mほど歩き進めば、ゆめが丘の住宅街への入り口。そこに、炎か夢をデザインしたような日時計にもなるステンレスのモニュメントが立っている(写真5)。ここで折り返し、来た道を帰る。
自転車通学の顔見知りの中学生とも、この歩道でよくすれ違う。にっこりする子や、挨拶してくれる子達など、色々。時には、スマートフォンを見ながらの自転車乗りで、ぶつかりそうな危ない事もある。

帰り道の下友生橋。久しぶりに夕陽が美しい。西からの風はわずかにそよぎ、トビが気流にまかせて悠々と弧を描き、旋回している。小学生の頃と変わらぬ光景だ。風に乗る鳥の気持ちはどんなんだろうと思った情感がよみがえり、立ち止まっては見上げている。そしてまた歩を進めるのだが、足取りは軽くなっている。

 

家まで帰れば4.3km、1時間と少し、歩数は8000と少し。この散歩、いつまで続けられるか分からないが、長く続けたいものである。
3歳の孫が鳥の羽根を持って、これなにと尋ねた。散歩で拾い書斎机に置いてあったものである。