どうなってるんだ、東芝、

どうなってるんだ、東芝、との思い込み上がる穏やかならぬ気分。最近の東芝危機報道にうろたえる私がいる。これまでも、三洋電機やシャープの凋落をみてきたが、こんな憂鬱な気分になることはなかった。東芝は、日本を代表する名門企業とのイメージが子供の頃より出来上がっていて、壊してはならないものなのだ。
物心ついた頃から目にする電球には筆記体のToshibaの傘マークが付いていた。なにせ日本初の発熱電球は、1890年に東芝により作られ、1921年には二重コイル電球、1925年には内面つや消し電球という、どれも世界初の電球を開発している。

生家の昭和レトロの4枚羽根扇風機も東芝製だ。購入後50年ほど経つが、今も現役で、この時代の家電製品は高品質で耐久性もあったとつくづく思う。また、作業小屋にあった動力モーターには油っぽい汚れの下にTOSHIBAマークが見えていた。我が家の東芝製品に思いを巡らしていると、脳裏に祖父の姿が浮かんできた。東芝株を長期保有していて、拡大鏡を手に新聞株式欄を毎日見ている姿だ。
テレビは、ご成婚パレードのあった翌年の昭和35年に我が家にやって来た。東芝製ではなく、ナショナルであったが、家族が囲んだそのテレビから、「♪光る光る東芝、回る回る東芝、走る走る東芝、歌う歌う東芝、みんなみんな東芝、東芝のマーク♪」と、東芝のコマーシャルが流れていた。今から思えばその時代、裕福ではなかったが、希望の持てる、未来のある、高度成長時代の明るい気分に包まれていた。そして、「明日を作る技術の東芝がお贈りする東芝日曜劇場」とナレーションが続き、家族で見ていた。森繁久彌や池内純子といった名優が出演していた。森光子、堺正章、浅田美代子らが出ていた「時間ですよ」もあった。

大学生となり、下宿するにあたり、評判の東芝1ℓ炊き電気炊飯器を買ってもらった。外食がほとんどであったが、気が向けば炊飯器でご飯を炊いていた。わずかにおこげができるくらいの満足すべき炊き上がりであった。今もその東芝電気釜RC-6LHRは生家の物置にある。
東芝は、その他にも、電気アイロン、ラジオ受信機、電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機、蛍光ランプ、電気やぐらこたつ、カラー受像機なども日本初で作り出している。さらに、世界初のラップトップ型パソコン、世界初のNAND型フラッシュメモリを生んでいる。

医療の分野でも東芝の歴史は輝かしい。私は、1988年(昭和63年)に小児科医院を開業し、妻の実家の医院から運んだ単純レントゲン装置にも、東芝のX線管球が用いられていた。一日に数枚の使用頻度ではあるが、今も使用しており、耐久性は申し分ない。東芝は1915年に日本初のX線管を製品化している。1978年には日本初の全身用X線CT装置を発売し、世界最高性のCT装置メーカーと成長した。
開業時に導入した超音波診断装置は東芝のSSA-240A型で、腹部用リニア電子スキャンと心臓用セクタ電子スキャンを備えていた。それは、中小病院・開業医向けに企画・開発されたもので、大幅な小型化、低価格化を実現し、グッドデザイン賞も受賞している。
東芝の医療部門である東芝メディカルは、GEに対抗できる日の丸企業であり、2016年3月期の連結売上高は約4170億円、営業利益は約180億円であり、今後の成長も見込めたが、2016年、6655億円でキャノンに売却された。東芝の会計不祥事に伴う事業再編の一環での譲渡であったが、譲渡先がキャノンであり安心した。私は、シャッター音の好みから一眼レフはニコンを愛用しているが、タイ製ニコンになじめず、カメラ生産の自動化に注力し、国内生産重視のキャノンには常々敬意を払っていた。

 

東芝は、1875年(明治8年)に創業され、今では、連結売上高5兆7,000億円、従業員数約18万8,000人の巨大重電企業である。東芝の社長経験者は、石坂泰三や土光敏夫など経済界のトップリーダーとなっている。
その名門東芝が、メディカル部門売却で治まらず、稼ぎ頭の半導体事業も分社化し、その株式を売却するという。なぜ、どうして、思いもよらぬ解体的経営危機を招いたのか。
東芝は、GEや日立と同様に時代の変化に対応すべく変革が必要と考え、原子力と半導体を中心に据える基本方針を定めた。2006年、当時の西田社長が主導し、社運をかけて原発プラント大手米ウエスチングハウス(WH)を、約5500億円で買収した。東芝の過去最大の買収案件であった。
原子力事業を中心事業とする判断は、当時としては間違っていたとは言えないだろう。ただ、巨額な買収に対するリスク分散など十分な検討がなされたのか。原子力事業は巨額で、各国の国策と直結するものであり、純粋なビジネスとしての経営判断が難しい。
その買収の決断は、10年後には名門東芝の債務超過という悲惨な結果をもたらした。致命傷となったのは、買収した孫会社S&W社が建設中の原発。安全基準の変更に伴う建設工期の遅れによる経費増は、発注者ではなく施行企業が請け負うという条項があり、その債務を東芝本体が間接的に債務保証するという契約であった。それが普通なのか特殊なのか私には分からないが、空恐ろしい契約内容である。そして、あの2011年3月の福島第一原発事故があり、米国の安全基準が厳格化され、当初の見積もりを大幅に上回り、巨額損失をもたらした。この時点で、遅くともこの時点で事業計画を見直し減損損失を計上するべきだったがそれをせず、「原発事業は順調」と言い、巨額損失を隠し続けたのである。
東芝は、ついに、2017年3月29日、米原発子会社ウェスチングハウス(WH)の破綻により、平成29年3月期連結決算の最終損益が1兆100億円の赤字となり、6200億円の債務超過に陥る見通しを発表した。

企業買収は予期せぬこともあり、最悪を避けての早期撤退が必要なこともある。キリンは2011年にブラジルのビール事業会社を約3000億円で買収したが低迷し、約1100億円の特別損失を計上し、2017年に約770億円で売却している。東芝は、冷静に事態を分析し、早期撤退がなぜ出来なかったのか。経営陣の責任は重い。
WH買収を主導した西室社長の後任に、外部から豪腕社長を招聘し、任せていれば状況は変わっていたであろう。外部からと言わずとも、人材豊富な東芝には乱世の適任候補もいたはずだが、時代に適した人材登用ができなかった事が核心の問題と言える。統治不全のままでの、同類の次期社長では、問題先送りで、傷は深まるばかり。現在の日立との差は、社長選びの差にあると思う。
日産自動車も1998年には約2兆円もの有利子負債を抱えて経営危機に陥り、自力での再建を断念。ルノーと資本提携し、副社長のカルロス・ゴーン氏が送り込まれてきた。そして、極度の経営不振の日産を見事に立て直したのであった。ゴーン氏の報酬が十億円と報道され、高すぎるのではと思っていたが、仕事に見合った報酬であったと今にして思う。

東京スカイツリーに登った時、350mの展望台まで静かに早く運んでくれた超高速の東芝エレベーター。あの50秒の不思議な浮遊感を思い出している。消えないでくれ東芝と願いつつ。