文化の盗用(Cultural appropriation)
2月16日、「カーリー・クロスが炎上謝罪、日本文化を盗用と指摘」こんな見出しの記事に注目しました。カーリー・クロスというアメリカの人気モデルが、芸者スタイルでの写真撮影を日本各地で行い、アメリカのファッション雑誌VOGEに載せたところ、日本文化を盗用したと批判が殺到したのです。そして、「これらの写真は、私のものではない文化を盗用したものでした。文化的に敏感でない撮影に参加してしまい、本当に申し訳ありません。」との謝罪に至ったのでした。
(写真1)
これは、伊賀の酒、半蔵も見られ、伊勢神宮内宮での写真と思われます。なぜこの写真が日本文化の盗用として批判されるのかと不思議に思いました。髪型は、花魁風で誇張された感はありますが、日本の文化を侮辱するわけでもなく、むしろ日本文化に触れた満足した思いがあるようにも受け取れました。
似た騒動は、2015年、ボストン美術館でも起こっていました。(写真2)モネの大作、「ラ・ジャポネーズ」、色彩鮮やかな着物姿で扇子を持って振り返る浮世絵を思わせる有名な作品です。この作品の前で同じ様な着物を着て、ポーズをとるというイベントでしたが、それは文化の盗用だとの抗議行動があり、中止に追い込まれました。美術館でのこのイベントが文化の盗用とは思いませんが、実際、中止となっています。日本人や在米日系人の抗議もないのに、勝手に日本人の心証を誤って推察し、抗議するという構図になっています。
私も、写真を見て、文化の相違とは言え、これは問題だと意識したことがあります。2004 年の「ハリウッド・ブッダ」と言う米国映画の宣伝ポスターです。(写真3)仏様の頭にサングラスにジーンズ姿の男が座っている。仏様、それも最も神聖な頭に座る。これはダメだ、あまりにも無神経で冒涜がある、と思ったのでした。やはり、監督は批判を受け、全くの「無知」による悔やむべき失敗だとの謝罪がありました。
このように、異文化への蔑視や敬意を欠いたものであるならば、抗議も理解できますが、カーリー・クロスの伊勢神宮での写真やボストン美術館での着物試着写真からは、日本文化への蔑視など感じられないのに、文化の盗用として問題となっています。文化の盗用とは、どのようなことなのか。
「Cultural appropriation(文化の盗用)」とは、
「ある文化の一部を、その文化を保持していない者が搾取また制圧的に利用する行為。この『ある文化』とは多くの場合マイノリティのそれを指す」と書かれてありました。特に抑圧された過去のある少数民族の文化が、主流文化の中で用いられたとき問題となるようです。それでは、日本人は、白人から見てマイノリティに属するということでしょうか。
当然、搾取や抑圧には反対し対抗すべきです。2016年、ディズニーがアメリカで販売したハローウインコスチュームに、文化が盗用されたとして、ニュージーランドの先住民マオリ族が「他者の文化の信仰や歴史を食い物にして、利益を得ようとしている」と批判し抗議の声をあげました。元の文化圏の人から文化の盗用であるとの批判があれば、それを認め、販売を中止すべきです。
わが国でも注目すべきことが起こっています。大学生のころ、顔を黒く塗ったシャネルズ、後にラッツ&スターと改名したグループが「ランナウエー・・・」と歌っていましたが、2015年、桃色クローバーZと共演した際の、お揃い黒塗りメーク画像がネット上に公開されたのです。するとすぐさま、「故意でない人種差別は大きな問題だ」「彼らは黒塗りが私たちにどのように映るか気づいているのか」との怒りの批判にさらされました。
30年前は、顔を黒く塗り、日本で歌うことには、人種差別という意識はなかっただろうし、批判もなかったから歌い続けられたのです。時代は変わり、今では、黒人からだけでなく多方面から批判される状況にあり、日本人が顔を黒く塗って歌ってはなりません。そう言えば、子どもと読んだ「ちびくろサンボ」の絵本も閲覧中止となり、孫には触れることのないものとなりました。
文化の盗用と非難されず、認められる場合もあります。その例として、アンジェリーナ・ジョリーが、国連難民弁務官のアンバサダー活動での海外訪問の際、ヒジャブ(イスラム教地域で女性がかぶるスカーフ)を着用していましたが、その文化を敬っているとのポジティブな反応を受けていました。
抑圧された歴史を持つ少数民族の文化やその一部が、主流文化の人に元の深い文化的意味や尊厳・神聖がないがしろにされて、「エキゾチック」なものとして安易に用いられれば、少数民族側からは当然の事、反対の声が上がります。先住民や少数移民族と主流の白人との軋轢や緊張関係が歴史的に厳然とあり、マイノリティ文化の扱いには過敏にならざるを得ない状況がアメリカにあるように思われます。それ故に、中には過激な集団もあり、元の文化圏の人々が問題としていないのに、盗用されたと感じているはずだと勝手に推察し、それは盗用に当たると騒ぎ立てる場合もあるのだと言えます。
近頃、我が国でもハローウインの仮装も普通に見られるようになりました。羽のついたインディアンヘッドピースを被る子供を見ることもありますが、園児や小学生の仮装にも無邪気な導入と成り行きに任せるのではなく、異文化導入の原則を教えていかなければなりません。「文化の盗用」、今や、これは人種差別・民族差別と同様の普遍的概念であるとの理解は必要のようです。かわいい、かっこよい、と無批判に取り入れ、無邪気に楽しんではいられないのです。
しかし、本来、文化というものは他の文化と融合したり異文化の人々の手が加えられたりして、時を経るごとに変わっていくものです。ある文化が異文化の人に触れられたり利用されたりすることは本来歓迎するべきことであり、批判すべきことでは無いはずです。
その文化に触れる初心者がぎこちなく、時に幾分滑稽に取り入れたとしても、それらを全面的に否定しては、文化の紹介・浸透を阻み、文化の発展・伝播に支障をきたします。
「白人のあなたが、マイノリティの文化である着物を着てイベントに参加することは、それは文化の盗用である」との批判に対し、我々は「着物文化は日本文化であり、マイノリティの文化でもなく、異文化に興味を持って、その文化に触れたいという純粋で好意的なふるまいであると受け入れています」と、表明する必要があります。
多くの日本人は、着物や髷(まげ)、武士の姿、芸者の姿、忍者姿など、異国の人が用いたとしても好意的にとらえています。今も京都の町では、着物姿や浴衣姿の観光外国人をよく見ますし、当地
伊賀でも、忍者姿の外国人の散策をよく見かけます。その光景を見る人々のまなざしは暖かい。私たちは、外国の方々が興味を持って試してくれることを、盗用ではなく、好意的に思える伝統文化の数々を持っています。私は恵まれた歴史の中にいる。
と、結語に至ったその時、和歌山県太子町での、イルカ漁に対する外国人の過激な抗議行動が思い浮かびました。それを文化の何と呼び、どう考えればよいのか。
写真1
(http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/16/voguen_14788604.htmlより)
写真2
(http://beinspiredglobal.com/steeling-cultureより)
写真3
(http://siam-breeze.seesaa.net/article/598844.htmlより)