伐採、ケヤキの大木

私の里の風景に、シンボルとなる2本のケヤキの大木がある(写真1)。近年、倒木騒ぎが三度もあって、ついにそのケヤキも伐採と相成った。今回は、それにまつわる話です。

麻柄神社;家から東に山道を登り、5分ほどのところに、無格社麻柄神社がある。祭神は長白羽命(ながしらはのみこと)で、三国地誌にも記載のある古社。氏子9名の小さな神社で、簡素な古い社務所と共に山の中にたたずんでいます。
「麻柄さんの社務所にイチョウの木が倒れ、屋根が壊れた」と、突然の連絡が入った。大きなイチョウの木で、秋ともなれば、一面黄色く落ち葉で敷き詰められて、木漏れ日に光っていた。幼い私にもしみるなんとも美しいものでした。そのイチョウが平成29年10月23日の台風21号の暴風で倒れ、しかも社務所の屋根を直撃した。そんなことがあってよいのかと驚き、不思議な気分となった。

(写真2)

倒木道を塞ぐ:平成30年7月29日、日曜の朝、「台風で杉の木が倒れ、道を塞いでいる」と、隣の方が電話をくれた。それは大変と実家に急ぎ、到着してびっくり。小川の渕に立つ杉の木が、川を越えて北側に倒れ、道を塞ぎ、わずかな隙間を残して車を覆っていた。車を潰す危ないところであった。(写真3)
この台風12号は、変わった台風で、まず伊勢市付近に上陸し、珍しいことに、その後西進し、近畿・中国地方を通過して、瀬戸内海を通り、九州を南下し、東シナ海でループを描いてさらに西進して中国上海付近に上陸している。こんな台風進路は見たことない。
この台風、風が強かったようで、倒木被害が相次ぎ、市内の道路だけで約30か所が一時通行止めとなった。
近隣の二人の方がチェーンソーを使って枝を払い、道の塞ぎを除いてくれた。日曜日にもかかわらず、クレーン車の出動要請まで済ませてくれて、大いに助かり、感謝に堪えない一日であった。休日緊急加算が付くだろう後日の請求額を心配したが、それも納得価格であった。

ナラの倒木:平成30年7月1日、「ナラの木が倒れ、麻柄神社に至る道を塞ぎ、獣害予防フェンスを壊している、」と教えてくれた。ナラ枯れによる倒木で、近頃よく見らえるとの事だ。今回も親切に隣の方が、チェーンソーを用いて撤去してくれた。

(写真4)

伊賀では、2009年に坂之下においてコナラの枯死木が確認されており、その頃より拡大しているらしい。ナラ枯れとは、ナラやシイなどの樹幹にカシノナガキクイムシの媒介によりナラ菌が感染して増殖し、水の吸い上げ機能が阻害されて枯死する伝染病である。

ケヤキ伐採の決断:屋敷に続く旧道の両脇にケヤキの大木があった。(写真1)幼い頃でもすでに高く大きく、里の風景の表象でもあった。小学生の頃、寺社建築用材に売ってほしいと来られる方もあったが、そのつど断っていたのを覚えている。
先の記述のように、イチョウ,杉、ナラの大木倒れが続けて起こり、ケヤキも倒れて近隣の迷惑になってはいけないと気にかけていた。だが、巨木の神聖さも感じていて、倒すのも忍びなく迷っていたが、平成31年春、ついに伐採を決意した。

水稲耕作を依頼している方は、地元の建設会社に勤めており、その方に伐採をお願いした。伐採は、落葉後にするものらしく、11月末と決まり、フォレスト伊賀という高木・大木伐採を手掛ける青山町の専門業者を手配してくれた。
令和元年11月末の伐採当日は、外来診療があり見に行くことも出来なかった。翌日行けば、在るものがなくて、変な風景であったが、伐採は問題なく済んだようだ。切り株の直径は115㎝あり、年輪を数えれば、分かりにくいところもあったが130前後であった。

(写真5)

太い幹の売れる部分は、運び出して競りにかけかけてくれた。木材不況の昨今、いくらになるか見当も付かなかったが、33万円で売れ、支払いの約半分を賄えた。残りの幹や枝は横の休耕田の集めてくれた。かなり太いものもあり、1~2年自然乾燥させて、厚めのケヤキ板を切り出してもらい、記念の銘板にしようと思っている。いい表札も作れそうだし、長男家族にも使ってもらうつもりだ。

チェーンソー:休日など、運動と体力作りを兼ね、チェーンソーを使って、薪用の切り出しと枝の整理を根気よく行った。2本の大木の枝は相当な量であったが、やればできるもので3か月ほどかけて大体の整理ができた。

(写真6)

チェーンソーも本格的に使うのは初めてで、説明書も読んだが、こんな時、YouTubeが役立つ。目立てもした。目立ては大切で、切れ味の回復が実感できる。手入れした道具で仕事がはかどり、仕事の量が目に見えて気持ちよい。忘れかけていた良き一時であった。
家にあった父親が使っていたSTIHLのチェーンソーは調子悪く、この際、ECHOの小型の入門機を購入した。本体3㎏の軽量で、枝切もうまくでき、ナタよりも疲れない。太い幹は、マキタの36V充電式電動チェーンソーを使った。数年前のふるさと納税返礼品であるが、充電式だし、それほど期待していなかったのだが、なかなかのもの、びっくりした。直径40センチでも問題なく切り落とせた。

(写真7)

薪割り:小枝の柴は、ほとんどは燃やしたが、大阪の孫たちと焚き火をして焼き芋をするために、少しは取っておいた。直径10~15cmの木は、80cm位に揃えて運び、更に半分に切って、薪割り用とした。薪割りは、中高生の頃に時々していたが、それ以来であった。薪割りの斧は、探してきて使った。それにしてもケヤキは硬い。すこし太い欅は、楔(クサビ)が必要となる。楔も確かあったと、小屋に戻れば、錆びかけた使い込まれた楔が3本あった。斧を振り上げ調子よく薪割りしていると、今度は、ヘッド部分の柄が緩んでくる。危ないので中止して、柄を入れ直す。これもYou Tubeで確認してから行った。古い木片の楔を抜き取り、新たな楔を作り打ち込んだ。さらにその真ん中に小さな鉄の楔を直角に打ち込んで固める。ヘッド部は硬く固定され、薪割りを再開した。

(写真8)

薪はたくさん出来、作業場の軒下一面に積み、乾燥させている。老いた両親が住んでいたころ、オール電化としたため、今は火を使う“くど”(かまど)もないが、いつかはと思っていた薪ストーブを置く条件が揃ってきた。

今、山林を買っての山小屋暮らしや、古民家再生を配信するYou Tubeも多くあり、ついつい見てしまう。子供の頃の記憶と重なり、くつろぎの時となっている。これらのYou Tube を参考にして、炉台、炉壁を作り、耐熱ガラスからゆらぐ炎がみえる薪ストーブを置けそうだ。ちょうどよい土間もある。

決心が付けばだが、気が向くままの新たなDIY(Do It Yourself)が始まろうとしている。DIYには、ヒューマンな生き方を取り戻す意味も含まれている。

 

三重医報2020年8月号掲載