エッセイ選集

私は忘れない 
平井 誠一白血病は小児悪性腫瘍の中でもっとも頻度が高
く,化学療法の進歩にもかかわらずなお不治の病
であり続けている。過般ジョーイという白血病の
少年とその家族の愛情を描いた話題の映画があっ
た。今日も血液タト来に通うこの子供たちとその家
族にとってはまさにあの映画が現実となっている。

M君もその一人であった。-時は寛解を得,普
段と変わらぬ生活を送っていたが,数ヵ月後に再
発し入院していた。「7××号室 M君が重篤,出
血が続いている」日曜の夕刻であったが病棟は緊
迫し,入局まもない私には何か起こらんとする恐
怖が感じられた。新鮮血輸血が必要となり,私が
給血者として選ばれた。額を光らせ主治医の見守
る中で輸血セットとつながれ,家族の祈りを込め
て,私たちの祈りを込めて,血液は1滴1摘と落
ち,彼の血管内へと入っていった。手足の動きは
なかったが,周りの動作をじっと見つめ,幾本か
の緊急注射’に耐えていた彼。
数時間後,息は絶えた。私は初めて経験するむ
なしい気持で病室を出た。お母さんに会ったとき,
私からの言葉はなかった。「先生ありがとうござ
いました。先生の血をもらった,お礼を忘れない
で,と何度もいってました」死の数時間前,あの
重篤な状態で輸血パックにはられたシールの名前
を読み取り,礼の言葉を母に託していた彼。
後日,青い空と北アルプスの美しい絵はがきが
病棟に届いた。 M君の家から望める風景とのこと。
「雄大なアルプスを包む天に,今あの子はいるの
です。安らかな気持です」と記されていた。

私はM君を忘れない。

MEDICO ’79 JAN.VOL.10 No1. p33


附属病院実習

 

平井誠一 三重大・M4

「おはようございます」と、看護学生の一団が追越していく。彼女たちの足早な白いシューズの音は 廊下に響いて遠ざかっていく。私はネームを点検して白衣のボタンを留めながら病棟に向かう。

「どうなさいました」、「首のところにこんなのができて、背中にまで広がっていくみたいです」と、皮膚科外来での、三○も半ばの母親は、高校生の息子にぴったりついて応答する。「いつ頃からですか」「もう三週間にもなるんです」とすばやい母親の返答。腹痛は一 歳八ヵ月頃から、頭痛は二歳一○ヵ月頃より自分で訴えることができる、こんなことが小児科教科書 に書いてあったのを思い出す。診察室まで高校生の息子に付き添って入室し、問診にまで代って答える母親。

同じ日、父親に伴われて、八歳 の女児が入室してきた。父親は、子供より一メートル五十センチばかり斜後方 に立ち、問診に対する子供の応答を見守っている。この父親の診察室での子供を見守る距離は、なんと愛情のある距離であることか。またそれは、家庭での好ましい父親の役割を象徴しているようでもあった。「ありがとうございました」と椅子から降りた子供のかわいい声が診察室に広がった。婦長さんの顔にも微笑が生まれ、皆の視線は少女に集中した。「家庭教育が行き届いていますなあ」と長谷川君の耳元で言うと、彼も大きくうなずいた。この次にお母さんが一緒に来たとき、どんな距離でもって、診察中のわが子を見守るのであろうか。

部長回診で、教授の診察手技を注視する私たちなのだが、咲子ちゃんのベッドの側に置かれたきっちり教科書のつまった手さげカバンが目に入る。やはり、学校のことが気にかかるのだろう。あとで教科書を見せてもらった。十年前の私たちの頃より色彩豊かなことに驚く。行間の赤いポールペンでの書込み、きちんと授業を受けている女生徒の様子がうかがえる。「クラブ活動は」「テニスと登山クラブに入っています」、「番好きな科目は」「英語です」、そう言えば、処置室の前を通りかかったとき彼女は一人で注射をしている。「何してんの」と聞くと、インスリンの注射]という。「インスリン」その発音は、しばらく耳に残るほどであった。こんな少女の、インスリンときれいな発音を聞くのは苦しい思いがする。でもこれからずっと、インスリンと一緒なんだから、美しい発音で呼んであげて、 今までと同じように明るい性絡をもち続けてほしいと願う。

「屋上へ行こうか」と手をつないで、階段を登る。屋上の海を望む眺めに胸がすく。「あれが知多半島だよ」と教 えてあげる。『知多半島』初めて 聞くような顔をして見上げる。康 代ちゃんは小学校三年生だ。まだ知らないのもむりはない。この子は初め、完壁なほどに無口であった。話しかけると、ロをファスナーで閉めるしぐさをする。それで も、廊下を通るときなど注意して ガラス越しに見ていると、こちら を見てにっこりするようになった。そんなとき、ポケットの中に 四つ葉のクローバーの入ったキーホルダーがあったので、彼女にプレゼントした。

少しばかりは退屈を粉らわずかのようにいじくっていた。次の日キーホルダーはベッドの上に放り出されてあったので、これはカバンにつげておくとよいと教えてあげた。無口であったのが、二週目頃には、おしゃべり康 代ちゃんに変わっていた。そして、病室の側を通りかかるのを見つけると、廊下までとび出していろいろ話してくれた。小児科実習最後の土曜日、康代ちゃんも退院していった。

我々のグループの五人はドタドタとエレベーターに乗り込んだ。「こんにちは」「ああこんにちは」、「その後お変わりありませんか」「ええ」、「今、何科の実習ですか」 と大久衛氏と言葉を交わす。この 太久衛氏ほど我々学生の診察に快く協力してくれた人はいない。腫大した脾を、放課後でも勉強のためにと何度も触診させてくれた。そしていい医師になるようにと言ってくれるのも太久衛氏であった。エレベーター内での少しの無言の間、じっと私たちを見据えているようであり、降りる直前、「君たちは若く、まだまだこれからだからいいね」と言った。私たちからの言葉はなかった。ただ会釈して別れたが、振り向いて見るその後ろ姿に寂しさの混った 複雑な心境が表われていた。

一年間の病棟実習も終りに近づいた今は、日没も早い。構内を出、下宿に向かう頃にはもう暗く、風 は自転車をにぎる手に冷たい。一 日のことを思い出しながら、いつもの橋を渡る。ぐっと水位は高く、川は満ち潮どき、ああもう一カ月が過ぎたのかと思う。目を移せば、電光掲示板さながらに光の漏れる病院。心なしか、七階南病棟新生児室はひときわ明るい。この闇にうかびあがった病院の遠景は水面にも映り、さざなみに光はゆれる。

 

日本医事新報ジュニア版

No158 1976.p35 読者の広場掲載文

 

医報から  2000年
「ア、まわっている」と阿山医師会館二階で、三歳児健診を終えた女児が窓の外を見て声をあげました。中庭に立つステンレスボードに軸受けで取り付けられた二枚のステンレス板が、きままな三次元の回転を伴いながら、風にゆっくりと回っています。鏡面処理されたステンレス板に光はかく乱し、会館のシックな色合いのタイルや、ほどよく成長したトチの木の緑も、空も、回るステンレス板に映されています。
その場固有の緊張と、ゆらぎの律動とでも表現すべきものが感じられます。この作品によりそんな空間表現がなされています。
この野外作品は、一九四三年、東京生まれ、三重県阿山町在住の芸術家、大平和正氏の作品です。当医師会のお宝といえます。またこのステンレス作品が似合う阿山医師会館も、コンパクトな会館ですが、造形的にもバランスのとれた、時の経過に耐えてなお古さを感じさせないすぐれた建築物であると、自称建物ウォッチャーの私は確信しています。「街の財産でもある」という住宅メーカーのコマーシャルコピーが口を突いて出てきます。
地道な日々の医師会活動もまた街の財産といえます。

2000年10月三重医報 阿山医師会紹介文から 広報担当 平井誠一

医報から   2001年

当医師会管内は、日系南米の人々が多い地域です。乳児検診に行っても、ポリオの集団接種に行っても、その南米の人々の子供が多い。極端な少子化の日本にあって際立って見えます。外国人の移入なく、高度成長期に育った我々からすれば、変わりつつある新しい時代を感じます。表情豊かで、初対面でもフレンドリーな関係を作るのがうまい。民族的、ないし天性のものがあるように思えます。海外移住でいつそう顕著なのかもしれないが、友人たちとの助け合い、ネットワークにはみはるものがあります。この明るい、フレンドリーなバイタリティーこそが、今の日本が一番必要としているものかもしれません。

外来にも毎日必ず二、三人の南米出身の患者さんが見えます。片言と身振りの混ざった会話となります。こんなことがありました。来日して間もない、日本語の話せない父親と子供が来院しました。私もポルトガル語が話せず困っていると、父親は携帯電話を取りだし電話するや、友達で日本語の話せる人とつながり、通訳してくれました。携帯が何度となく父親と私を行き来してコミュニケーションが成立したのです。便利になりました。十年もすれば人を介さずとも携帯に組み込まれたコンピュータが瞬時に通訳してくれるに違いありません。

確かにわが国も新しい段階に入ったといえます。わが国の極端な少子化と労働力不足、国境を超えた人の移動・流動化、そして一方で高失業率。ドイツ、フランスでもすでに問題となっていることであり、わが国でも避けて通れず、現実に進行しています。国境を超えた人の流動化には、近頃の犯罪の変化に象徴される負の部分があります。しかし、国の活力、文化・科学技術を維持、発展させるには、幾らかの負の部分を抱えながらも多様な文化の人々を受け入れる必要があるといえます。

医療改革においても各種提言が報道されています。医療改革も時代の変革に対応できる将来を見据えた本質的なものであるべきで、従来型の先送りや姑息な方法では立ち行きません。

また、目先の医療費削減、表面上の効率だけからの営利団体、株式会社の医療への参入は断固として阻止すべきです。医療が利潤追求や効率が第一義となってよいはずがありません。それを許せば大多数の国民の不幸は目に見えています。

最後に、余談になりますが、阿山医師会はなぜ「阿山」なのかという事です。私も入会当初は上野でもなくなぜ阿山かと幾分馴染めませんでした。しかし、阿山医師会に入会して十五年ほどが経ち、その名の元での月日は意味深く、今では愛着さえ覚えます。

そこにも、歴史がありました。明治29年、阿拝(あえ)郡と山田郡が合併し、阿山郡が出来、その医師会が阿山郡医師会であったのです。その後、郡内の町村が幾度か合併し、現在の、上野市、阿山町、伊賀町、大山田村、島ケ原村に編成されたのですが、医師会名は阿山医師会として続いているのです。

阿山の「阿」の原義は、山ふもとの神を祀るところ、山すその聖所を意味するといいます。だから「阿山」であり「阿拝」であるのです。

奈良時代の「風土記」に記された伊賀国の由来によると、この地は猿田彦の神の国であったが、後に猿田彦の神の女(むすめ)吾娥津媛(あがつひめ)が治め、それで吾娥の郡といい、この「アガ」が転訛し伊賀となったといいます。まずこの吾娥津媛の神話、伝説があり、アガのアに原義から言ってもふさわしい「阿」の字が後にあてられたのではなかと推測します。

なるほどそうだったのか阿山医師会。

 

 

医報から 2002年
  

今年の西日本は猛暑でした。それも過ぎれば、あれほど熱狂したサッカーワールドカップも、もうずいぶん前の出来事のように思えます。診察机のパソコン画面は、人気があったサッカー壁紙もそぐわなくなり、季節の風景物に代っています。

先日の新聞に、意外な見出しを見つけました。「裁判官報酬減額を受諾、最高裁合憲」というものです。憲法に裁判官の報酬は減額することはできない、と明記されているそうです。それで、人事院勧告が国家公務員の月給をはじめて引き下げるよう求めているのを受け、裁判官の報酬をどうすべきかを最高裁が検討したというものです。これも戦後初めての異例の事といいます。

またその記事の横には、介護保険料の割増対象拡大、来年度から、との見出しもありました。来年4月より社会保険本人も3割負担になります。診療報酬マイナス改定がすでにあり、デフレの状況下で、個人負担が増えるただならぬ状況にあります。抜本的な医療制度改革を望みます。

気になる記事がもう一つありました。「肥満で心臓病、糖尿病を患ったのは不健康な食事をさせられたせい」と、マクドナルドなどの4社を訴えたというのです。1950年代からファストフードを食べ続け、96年と99年に心臓発作を起こし、身長約178センチ、体重123・4キロで、「牛肉100%というから、体に良いと思っていたのに、脂肪ばかりで肥満になった」と主張しているといいます。

自分の健康管理責任を棚に上げて、賠償金目当てにこれらの会社を訴えたとしか思えません。どんな判決になるかわかりませんが、このような訴訟が起こされることに驚きます。

日本でも十年もすれば、アメリカやイギリスのように賠償金文化(コンペンセーション・カルチャー)と言おうか、訴訟の時代になるのではないかと心配します。

日本は違うと思っていたことがらも、20年ぐらい遅れてわが国でも一般化してくる傾向にあります。人々の権利意識も徐々に変わってきています。最近のテレビ番組でも、日常生活場面での訴訟や賠償をテーマにした番組が高視聴率を上げています。医療現場においても、不理窟としかいいようのない訴えを起こされないとも限りません。

出展は忘れましたが、「米国には、事故があると病院に駆けつけたり、救急車の後を追跡して病院に駆けつけたり、病院で待機していたりして、被害者や家族から委任状を取るという積極的な商売?をしている弁護士もいるそうです」とかかれていました。

わが国でも司法制度改革も議論されていて、司法試験合格者数も現在の年間約千人から三千人に増員するとのことです。裁判の迅速化は望むところですが、弁護士増加が過剰な訴訟につながらないかとわずかながらも危惧します。

 

医報から 2003年

 

9月になってやっと夏本番といった暑い日が続いている。こどもたちは炎天下での運動会の練習。熱中症とまでは行かなくても、頭が痛いなどと調子を崩し来院する学童も少なくない。今年は梅雨明けもはっきりせず、8月も雨が多く冷夏であり、プールの時間は寒い寒いと震えていた。この気候のずれもまた異常と言える。

この夏東京では、一連の原子力発電所の不祥事から電力不足の懸念があった。東京のこととはいえ、私は首都圏での電力不足を心配していた。今の時代電力なくして生活は成り立たない。しかし、実際に電力が途絶えれば、どの程度の社会の混乱が生じるか想像もつかない。

東京電力は会社としても、長い間止めていた火力発電所の運転再開や他電力会社からの応援を受けるなど懸命に努めた。また、天気予報ならぬ電気予報を出して、市民の節電を求めた。それに冷夏も幸いし、東京の電力不足は回避され安定供給が維持できた。

ところがこの8月14日、予期せぬ米・カナダで大停電が起きた。そして都市機能は完全に麻痺し、商店略奪さえも起きている。アメリカでの大停電は数年前カリフォルニアでもあった。IT先進国で超大国のアメリカで大停電がしばしば起きていることに驚く。電力の安定供給は国のもっとも基本のインフラではないか。

報道によれば、1990年より始まった規制緩和で電力会社間の競争が激しくなったことが原因と指摘されている。つまり利益に直結しない送電施設の刷新を後回しにし、整備もコスト第一の継ぎはぎ式のものとなっているという。ここに自由化を進めてきた米国のエネルギー政策の欠点が浮き彫りになっている。電力事業にはコスト第一の自由競争になじまぬ側面が在り、安定供給に対する強い責任が求められます。またそれには一定のコストも伴う。

ここで医療につき考えてみると、医療は電力以上に公共性が高く、公平性が求められるべきものです。社会保障としての医療は市場原理に適さず、利潤追求し利益を株主に分配するという株式会社が活動すべき分野ではありません。

介護保険がスタートしたとき、全国規模の株式会社が当地にも営業所を作り、介護事業を開始しましたが、利用者が少なかったためか、すぐ撤退してしまいました。不採算部門のすばやい切捨てです。株式会社としては当然の行為であるのですが、私は改めて医療分野への株式会社の参入を認めてはいけないと強く思いました。

日本の医療制度改革ですから、先ずもって、我が国の医療制度の良さを残し、生かすものであり、その上に欠点を補う改革でなくてはなりません。

 

医報から 2004年

 

今年は台風の上陸が多い。すでに7個で過去最多とのこと。それに、近頃地震も多い。ぐらっとくれば、阪神淡路大震災の映像が呼び起こされ、身構えてしまう。大地震の前触れでなければよいが。

メダルラッシュに沸いたアテネオリンピックも終わった。感動場面は、栄光の架け橋の歌とともにいまでも甦る。世界に通用する多くの若人に心強く思えた。特に女子水泳800メートル自由形での柴田選手の金メダルはたいしたものだし、陸上男子リレー2種目の4位入賞も特筆される。

私は今回、選手も偉いが、コーチの貢献たるや非常に大きいと思った。中でも、コーチ暦30年の女子シンクロスイミングの井村雅代コーチに注目した。シンクロが取り入れられた1984年のロサンゼルス五輪の銅メダル獲得に始まり、今回のアテネでの銀メダルまで6回連続してオリンピックでメダルを取り続けてきた。これはどれほどの偉業であることか。

長く細く美しい脚を持つ外国選手。体型のハンディを持ちながらの戦いであり、それに勝ち抜くための大会ごとの戦略的挑戦が常にあった。笑顔が常識のシンクロに、怒りを表す「夜叉」の表情を用いたり、力強くスピードのある空手を取り入れたり、また、これまでにないコミカルなパントマイムをテーマにした。常に新しい領域に挑み、見事に結実させていった。この井村コーチ、この人にこそスポーツ界の最高の賞を与えるべきだと思う。

男子体操団体の逆転優勝も良かった。ところでその競技の採点だが、演技内容の価値を評価する審判と、演技実施中に起こる過失について減点する審判とに別れ、各々の得点は6人の審判の最高と最低点を省いた、4人の平均点が得点となっていた。これはなかなか良い方法だと思った。昔はこんな採点方法ではなかったように思う。あからさまな自国の高得点や、ライバル国の低い得点があり、後味悪い思いをしたものだ。採点方法もそれなりに進歩しているのである。

さて、話題を医療界に転じれば、小泉首相は、9月10日の経済財政諮問会議で、保険医療と保険外診療を組み合わせる「混合診療」について、「すでに長い間議論している。年内に、解禁の方向で結論を出してほしい」と金子規則改革相らに指示した。こう報じられている。しかし、混合診療を認めれば大変な事になる。売り上げや採算が以前にも増して求められている現在の医療状況下、同じ検査をするにしても、混合診療の方が優先され、保険診療の方が後回しとなるのは目に見えている。一事が万事、こうして、病院は当然のように採算性のよい自由診療に力を入れるであろうし、その分保険診療は確実に後退していく。それに抗するのは患者負担の増大でしかない。混合診療賛成派の意図するところでなくても、結果として深刻な保険医療水準の低下をもたらす事必定。この問題、今後どのように推移するのか予断は許されない。心配である。

今年の11月1日、平成の大合併と言われる今回の市町村合併により人口10万人の伊賀市が誕生します。伊賀市は阿山医師会管内の上野市、阿山町、伊賀町、大山田村、島ヶ原村と現在名賀医師会に属する青山町の6市町村よりなります。この合併に伴い、医師会名称をどうするのか、現在名賀医師会に所属する青山町の会員の方はそのまま名賀医師会にとどまるのか、阿山医師会に加わり、伊賀市と一致した医師会となるのかが重要な検討・協議事項となってきます。阿山医師会としてのこの報告も今回が最後となるかもしれません。

 

医報から 2005年

 

あ、ほのかちゃん、隆哉君だ。小児科外来で顔見知りの子供たちが新聞地方版に載っている。

ふうりんがなってカーテンうごきだす

府中小一年  きた ほのか

ブロックのもようになりきる雨がえる

三田小三年  矢野 たかや

これは、昨年の第58回芭蕉祭における児童・生徒の部の献詠俳句特選句です。俳聖松尾芭蕉の業績をたたえ遺徳を偲ぶ芭蕉祭が上野公園内にある俳聖殿を会場に毎年10月に行われています。

当市の小中学校では、ずっと以前より、夏休みの宿題に俳句提出があります。私の小学生の時もありましたが、残念ながら入選歴はありません。今は大学生の我が子達も、8月下旬となれば俳句、俳句と言って指を折り作っていました。長女は小学4年の時,たもよりも深い所であゆ泳ぐ,長男は小学1年の時,遊ぼうとおもったともだちお昼寝だ、の句で入選し、よい思い出となっています。

今も小学生を持つ職員は、あと宿題は俳句だけだと言って気にしており、その様子は変わりません。夏休みの宿題もずいぶん減ったようですが、この俳句の宿題だけは変わらずにあり、全員が提出します。その中から選らばれ学校からも芭蕉祭献詠俳句に応募します。なお、この選者に当医師会会員の西田誠先生も加わっておられます。

上野西日南町に芭蕉翁の五庵のひとつとされ、唯一現存する蓑虫庵があります。小学生の時、遠足で行きましたが、有名な「古池や蛙飛こむ水のおと」の句碑が立ち、後ろには小さい池がありました。それで私は、この句は、ここで詠まれたものでなくとも、この様な江戸の庵にある古池に実際に蛙が飛び込んだ情景を詠んだものとずっと思っていました。

そして、最近注目したのが長谷川櫂著『古池に蛙は飛びこんだか』(花神社)の書評です。

古池や蛙飛こむ水のおと   芭蕉

この句は、貞享三年(1686)四十三歳の松尾芭蕉が、江戸深川の芭蕉庵で詠んだ句と言われています。この時芭蕉はすでに「蛙飛びこむ水の音」の下句を得ていて、この上に何とおこうかと宝井其角に相談したところ、「山吹や」がいいのではと提案するが、芭蕉は「古池や」とおいたと言う話が伝わっている。

そのことから、長谷川櫂氏は、古池に蛙が飛びこんで水の音がした、という一物仕立ての句ではなく、「蛙が水に飛びこむ音を聞いて心の中に古池が浮かび上がった」という句ではなかろうかと述べ、こう解釈することにより、古池の句以後の芭蕉の名句がよくわかると言う。古池以降の芭蕉の句はどれも現実と心の世界の取り合わせによって詠まれている。しかもある音―蝉の声、ホトトギスの鳴き声、時雨の音―をきっかけにして現実のただなかに心の世界が開けるという、古池の句とまったく同じ構造をしており、古池の句が「蕉風開眼の句」と言われる所以である。そう述べていて、なるほどと思わせる説であった。

 

 医報から 2006年
阿山医師会から名称変更がありすでに2年以上が経過しました。伊賀医師会という新名称も月日とともに定着し、我々と同化してきています。

「認知症」にも近頃やっと慣れてきました。
当初あったあれほどの違和感も薄れてきています。月日の力は恐ろしい。痴呆症に侮蔑的な意味があるとして厚生労働省は用語の見直しを行い、論議の結果、「認知症」と決定した。2004年の事でした。
候補となったのは、「認知障害」が最も多く、次いで「認知症」、そして「記憶障害」であった。検討に当たっては、どうも用語の正確さというより、侮蔑感の無いもの、傷害イメージが目立たぬものとの立場が優先されていたように思えます。テレビを見ていても、不適切とされる用語が持って回った言い換えで済まされていますが、「認知症」にもそれに似た不自然さがあり、わかりにくい。このわかりにくさ故に採用されたとも言えます。新語を決めるとき、本質を隠した、ぼかした用語の方が望ましいとする態度こそが問題であり、それを求める社会があります。そこに本質の議論や解決を避けて表面上の言い換えや取り繕いで事を乗り切ろうとするわが国の一面が見えます。やはり専門用語は病態をよく表すことを第一義とすべきです。台湾では痴呆症を「失智症」と言うそうです。認知症より、この失智症の方が病態をよく表しています。

今年の3月、阿山医師会としての最後の事業となった「伊賀の医事史」を発行しました。
新生阿山医師会誕生から50年を記念して発刊が計画され、10年の歳月を得て完成を見ました。記念碑的なこの書は伊賀市在住の郷土史家の北出盾夫氏の編集によるもので、現在入手可能な資料を存分に駆使した内容の濃い書物となっております。明治八年の「東京医学会社」に先立つ、わが国最古の医師会組織がこの伊賀の地で明治6年8月に冨山淳道により「癸酉(きゆう)医会」として設立されたことや、その淳道の父、冨山松齊は安政五年に藤堂藩士となり種痘を伊賀で始めて実施したこと、さらに、淳道の三女、冨山靖子は伊賀で始めての女医であったことなど、始めて知る事柄も多い。また衛生省設置を求めた岩野森之助や橋本病の橋本 策博士など郷土の先人の偉業の数々に接します。
医事史に興味のある先生はぜひご一読ください。各郡市医師会にお送りしてあります。

 

医報から 2007年

 

「日本脳炎、どうしよう、皆さんどうされていますか、」と外来でよく聞かれます。

平成17年5月、日本脳炎ワクチンによる健康被害において重症のADEM(急性散在世脳脊髄膜炎)がマウス脳の製法による日本脳炎ワクチンと因果関係があると判断され、慎重を期するため、日本脳炎ワクチンの積極的勧奨中止となった。しかし、日本脳炎は居住地域や年齢などの諸事情により感染するリスクが異なるので、効用及び副反応を念頭におきつつ、居住する地域の特異性(養豚場が近隣にある、当該地域では発症率が高いと見込まれる等)等を考慮し、接種するか否かの判断をして、希望すれば、同意書を書いた上で接種は出来るとなっている。接種するかしないかは、保護者に預けられた状態となっており、多くの保護者にとり、どうしてよいのかわからないのが実情で、行き着くところは、「皆さんは、どうされていますか」。個人の判断によるものというものの、その決定はマスコミ、世間の風潮や空気に支配されることになる。これでは、集団免疫はできず、流行を阻止できず、まずいのではないかと心配する。

悪い結果が起こっても、個人がそれぞれ判断された結果であり、責任は所轄官庁にはないと、責任は回避できる。患者さんが、自己決定するという時代にマッチしているともいえるが、もう少し国の専門機関が、踏み込んだ指針を示す必要があるではないかと思う。
よりリスクの低い組織培養法による日脳ワクチンが開発中であり、一年ほどで勧奨接種が再開される予定であったが、開発が大幅に遅れており、副作用も予想に反し以前のワクチンと同程度に見られるとか。
今回のワクチン接種の中止勧告を受け、感染症の専門家は、「一時的な中止であれば特段安全上の懸念はないが、ウィルスがいなくなったわけではないので、長期間に渡って中止するのは危険」という見解を示している。

ゴア前副大統領の著書「不都合な真実」で地球温暖化によるアメリカでの西ナイル熱の流行が取り上げられている。日本脳炎においても、地球温暖化と、日脳ワクチンの勧奨接種中止が長く続けば、発症分布の北上と予想外の流行が起こるかもしれない。

話はそれますが、偶然目にした特許のデータベースに「日本脳炎ワクチンによる西ナイルウイルスの感染に対する交叉防御」というのが載っていた。出願は国立大学法人琉球大学。「日本脳炎ワクチンを接種した多数の健常人において、西ナイルウイルス反応性の抗体の存在が確認され、現行の日本脳炎ワクチンが西ナイルウイルス感染症の防御に有効である」とのことだが、西ナイルウイルスは血清学的に日本脳炎ウイルス群に属しており、それは十分考えられることであり、こんなのが特許になるのかと疑問に思った。ムンプスワクチンのJeryl Linn株や水痘ワクチンの岡株の発見は特許に値するとは思うが。

予防接種は、有効に機能するように制度化されたなら、効果は絶大であるが、一つ間違えば、損失は甚大となる。
今年の春、関東を中心に大学生の麻疹流行があり、休校が相次いだ。学生にとっても、大学にとっても影響は大きかった。これも、米国の大学のように入学にあたり、ワクチン接種証明書の添付を課しておれば防げたことではある。募集要項に、入学条件として、所定のワクチン接種が済んでいる事、と明記するだけでも効果があろう。今回麻疹流行により休校となった大学は、同じことを起こさないために、上記の対策を実際にとることができるか注目している。国の通達や法令がなくても、それは各大学の意思でできることである。

今回の麻疹流行時、園医をしている大規模保育園で、感染経路ははっきりしない、10ヶ月児の麻疹発症もあったが、感染拡大なくこの子一人で済んだ。これも、以前より、入園説明会や入学時にワクチン接種をすませておくよう園長より言ってもらっていた成果と考えている。
各種予防接種の接種率向上が求められている。保育園や学校に入学するとき、受けるべきワクチンが済んでいることを原則条件とするよう明文化して実行することが最も効果的であると思う。

 

医報から 2008年

 

8月13日午後、観ていたテレビ画面上部に伊賀地方に大雨警報とのテロップが流れた。天候は曇り、時に小雨程度であるのに大雨警報には驚いた。その後もたいした雨もなかったが、翌日の朝刊地方版には、名張に床下浸水があり、赤目渓谷増水、登山客ヒヤリとの記事があった。まさにゲリラ豪雨。天気予報は当たっており、予報精度も上がったなと実感した。
この夏、台風が少ないなと思っていたら、ゲリラ豪雨による被害が全国各地で相次いでいる。ゲリラ豪雨にも地球温暖化が関係しており、海水温の上昇がると湿度の高い空気が日本列島に流れ込み、巨大な積乱雲を作り、集中豪雨をもたらすと書かれてあった。さらに今年は偏西風が蛇行して日本上空に冷たい空気が入っており、上が冷たく下が暖かいため大気が不安定で上昇気流が生じ積乱雲を生むという。何はともあれ、異常気象は不吉である。

福島県立大野病院事件においては、福島地検が控訴を断念し、医師の無罪が確定した。保岡興治法相は、記者会見し「医療事故の刑事訴追は、設置が検討されている医療安全調査委員会といった第3者機関の専門的判断を尊重し、謙抑的に対応すべきだ」との見解を示した。そして、「医療は萎縮してはいけない。第3者委員会の一日も早い設置が望まれる。法相として必要な協力をしていきたい。」と述べておられた。
今回の医師の逮捕、起訴はわれわれ臨床医にメガトン級の衝撃を与え、その負の影響は計り知れない。それは、医学生、研修医にも同様であるが、これからの進路選択に多大な影響があるだろう。研修医の子供たちと話していても、これほどに防衛的、危険回避の消極的考えになるのかと、われわれの世代からすれば、幾分ふがいないと思うほどであった。しかし、身を守るためには、そうなるのも無理ないなと思える現実があるのだ。
今回の一連の報道を通じて思うことは、事故後、県が「県立大野病院事故調査委員会」を設置し、『医療ミス』との報告書を提出したことが、一番のポイントのように思う。事例研究とするならば、この委員会の成り立ち、審議内容、審議経過、を検証すべきと思う。
この委員会の「医療ミス」という報告の後に、
事故後一年以上も経っていながら、逃亡の恐れなども無いのに、県警高岡署による、医師の逮捕、起訴がなされている。方向性を同じくする県の事故調査委員会の報告に引きずられて医師逮捕となったのではなかろうかと推測してしまう。刑事司法というものは、故意や重大な過失など悪質な犯罪に対してのものではないか、救命治療を専心行っているのに、死亡という結果で逮捕されたのではやっていられない。結果、地域の医療崩壊は加速した。
もう一つ、不可解なのは、事もあろうに、福島県警は本件捜査にあたった富岡警察署に県警本部長賞を授与したという。このような不可解を重ねる警察に対して、どうなっているんだ、大丈夫かと心配になってくる。

厚労省は、2009年度の概算要求で、医師不足対策として、1088億円を求めると報道されていた。政府がまとめた「五つの安心プラン」の具体化の一つである。①救急施設での夜間休日勤務への財政支援(41億円)、②出産取り扱い件数に応じた産科医への手当(37億円)、③僻地派遣医師の遠距離通勤手当(19億円)、④診療所医師の夜間・休日救急病院への応援診療に対する手当(11億円)となっている。我々も伊賀市の応急診療所に出務しているが、市も財政難の中での市民病院、応急診療所の運営であり、この財政支援は有用である。

今年より始まった特定健診。当医師会でも、今回の特定検診に対応すべく、特定健診の委員会を立ち上げ、講習会を行い、検査センター入力委託の場合の説明会、またフリーソフトの入力の場合の講習会も実施して頂いた。
昨年までの基本健診に比べ項目も少ないのに、生活機能評価併用や単独も加わり、更に提出が電子媒体となり、そして一部は紙媒体が残ったままで、実にややこしい。私も昨日初めてフリーソフトを使って、8月健診分を入力し、暗号化し、CDに収め、とりあえず提出した。エラー無く、入金までスムースに進むか心配している。
保険診療の報酬請求も、平成23年には、オンライン化されるとなっている。今使っているレセコンを、オンライン請求用のデータ変換し、オンライン請求のための回線設定に総額50万円との見積りであった。私は今のままの紙の請求でなんら不都合はないのだが、紙では認められないとなると、オンライン請求せざるを得ない。データ変換まではレセコン業者にお願いせざるを得ないが、現在ADSLでつながっており、回線設定は自分でやってみようと思っている。セールスの人は、素人では中々難しいとやけに難色を示したが、それだけ美味しい部分であるのだろう。それにしても、50万円とは納得できぬ金額である。
保険請求のオンライン化がなれば、日本全国の医療データの全てがデジタルデータで集約される。これは、いまだかつてない、新たな恐ろしい事態でもある。使い方により国民のためにもなるだろうし、不利益にもなるだろう。データ管理のちゃんとした組織や法整備が出来ているのであろうか。ずさんな年金管理の前例があるだけに、これまた心配でならない。

 

医報から  2009年

 

最近、特に気になった事柄は、消えたミツバチの報道です。2006年秋、アメリカの数人の養蜂家が、ミツバチが巣箱からすっかり消えているのを発見した不可解な現象で、原因は不明。その後、各国にもひろがり、我が国の養蜂農家にも甚大な影響が出てきているという。蜂群崩壊症候群(CCD)と呼ばれているこの現象、何か気付かぬ地球環境破壊の兆候ではないのかと、心配になってくる。
ミツバチ失踪の背景には,ダニ駆除剤や農薬などの化学物質,ストレスといったさまざまな要因が絡み合っていると言われ、最近では、複合的な原因で弱体化したコロニーへの,イスラエル急性麻痺ウイル(IAPV)という新しいウイルスの感染の関与が重要視されている。
これは大変だと単純に憂えていたが、調べているうちに、生物の外来種問題も絡んでいる。
自然に生息するニホンミツバチやそのほかの虫も花粉を運ぶが、それだけでは足りないため、多くの農家が飼育に適した輸入されたセイヨウミツバチを購入して利用している。今回消えたと騒がれているのは、“授粉用ミツバチ”で外来種であるセイヨウオオマルハナバチだという。導入当時、セイヨウオオマルハナバチは日本の自然生態系に定着しないと言われていたが、2005年の生態調査ではなんと84.4%を占め、在来種エゾオオマルはわずか0.9%と報告されており、今や完璧に定着し、在来種を駆逐している。
それで、2006年9月より特定外来生物に指定されたが、結局、どのようないきさつがあったのか、条件付きでハウス内のみでの使用が認められ、完全輸入禁止とはなっていない。
日本にはクロマルハナバチなど授粉昆虫として十分使用出来きる日本在来種が生息しているという。この在来種なら受粉終了後の駆除の必要すらないのである。目先の「商業」ベースに引きずられた法整備だと言わざるを得ない。在来種保護の観点からも、例外を認めることなく、輸入禁止とすべきであったと思う。

さて、伊賀地区で従事する医師数は人口10万人当たり117,5人で、全国平均206.3、三重県平均177.9人ですから、極端な医師不足の状況にあります。この状況下、報道される全国各地と同様に、救急医療は崩壊の危機に瀕しています。平成20年4月より名張市立病院、上野総合病院、岡波総合病院の3病院による二次輪番体制による救急対応を行っていますが、医師不足による、受け入れ困難事例も多く、2008年年間集計では、二次輪番受け入れ時間内における受け入れ困難事例は293ケース、6.6%になっています。
夜間・休日の応急診療所に出務していても、二次受け入れ病院が決まらず、消防救急隊の方々と共に、断られては次と、受け入れ要請を行う焦りと困惑。そして許諾を得たときの何とも言われぬ虚脱さえ伴う安堵感。

伊賀市、名張市よりなる伊賀地域は、三重県の保険医療計画において、津市を含めた中勢伊賀保険医療圏として構成されていますが、地理的状況により伊賀地域内でのある程度の完結した医療が求められるため、伊賀地域単独で伊賀サブ医療圏を構成しています。
伊賀地域での医療機能の整備と共に、地域での対応困難症例を確実に受け入れていただける中核病院と救命救急センターが中勢伊賀保健医療圏に整備されることを住民共々切望しているところです。
今年8月、内田淳正三重大学学長を委員長とする伊賀地域医療体制整備計画検討委員会が設置され、伊賀地域の医療体制整備の基本方針につき検討されることになっており、すでに数回の会合がもたれています。

2009年度の厚生労働白書にも、医師不足の深刻さを取り上げ、「地域で必要な医師の確保が喫緊の課題」と位置付けられています。そして今年度予算で夜間・休日の救急医療を担う医師への財政支援や、ドクターヘリの整備、患者の状態に応じて救急医療を行う「管制塔機能」を持つ医療機関の整備などを盛り込んだと書かれています。
今回、歴史的な民主党の圧勝による政権交代がなされましたが、新政権には、救急医療整備へのより実効的な政策を打ち出して頂きたいし、実際に2010年度の予算にどのように反映されるのか,注目しています。