歌が消えた待合室
今、世間では宗教についていくぶん騒々しく論じられている。外来も人の集まる所、世相を反映する。一歳六カ月検診の時、母子手帳を見るとワクチン欄まっ白の、全く受けていない子供が時にみられます。問えば「宗教上の理由です」と確信に満ちている。ここでワクチンの効用を説いても理解してもらえるはずもなく、「そうですか」と答えるしかない。
こんな事もあった。患者さんがまだ来られないと、紹介先病院よりの電話。もうとっくに着いているはずなのにおかしい。自宅に電話すると宗教上の理由で病院には行かないと言う。宗教上の理由で、という事はこれまでめったになかった。さしあたって子供の生命に危険はないわけて、親の判断が絶対であり、とまどうばかりてある。
少し前、バブルの頃は親の手首に金の鎖が目についたものだが、この頃、水晶や木の実のような数珠がひときわ多い。さらに新しい傾向だが、同じものを子供の手首にもはめている。一時、サッカー少年を中心にミサンガなるものを多く手にしていたが、それは子供たちの世界での流行の一つであった。最近のものはもっと宗教色が強い。
窓の外に目をやれば、見覚えのある母親が子供を連れて、近所を戸別にたずね、宗教パンフレットを郵便受けに入れている。意外な感じを受けたが、ありうる事だとすぐ納得した。 休診曰、洗車しているとこんにちわと二人づれの若い女性が声をかけてきた。「宗教にも興味があるのですね、待ち合いに本も置かれて。今度集会に参加して下さい。」待合に宗教書を置いた事もない、誤解だ。忘れ物の本として職員が立てておいただけなのに。
「先生どう考える…」といつも意見を求める南米出身のお母さんがいる。説明し「わかった、私もそう考える」と会話が終わる。南米やアジア諸国出身の在日外国人の方が予防接種に対しても概して積極的であり、子供に対する感情や医師との関係においても、より安心感をおぼえるのは不思議なくらいである。
話は変わるが、外来から歌が消えた。診察中子供の歌や、親子で口すさむ童謡が聞こえてくるのは普通であったが、近頃めっきり少なくなった。童謡コンサートが各地で大盛況との事だが、それは生活の場で童謡が消えた何よりの証かもしれない.現在の生活のテンポや気分は、童謡をロずさむ事とかけ離れている。病院においても環境音楽と称して一方的な音楽がかかり、一見ここちよいが、子供たちの内面を表出するロすさみを抑制していると言えなくもない。ロずさみのないのは精神発達上重視すべき徴候である。
いつのまにかエアコンも冷房から暖房に変わっている。いろいろな変化に気付くこの頃てある。