飽食時代の落とし穴

「飲めました? いやがり飲んでくれません、困り顔なく 母の答える」。これは俵万智さんの歌ではありません。最近、薬を飲んでくれないとの訴えや、粉薬がイヤ、においのあるのはイヤ、あげくには甘い薬イヤと注文が多い。体温についても「イヤがって測らせてくれません」と、これまた困った様子もない。また診察のとき、まくりあげて胸を出せばよいではないかと、脱衣をためらう親が多い。

これらを考えてみるに、この薬がなければ助からないという状況は極めて少なく、診察の場においても、薬の飲ませ方や看護場面においても、真剣さや熱意がしらずしらずのうちに低下してきているように思います。乳児死亡率も低く、世界のトップレベルに達した恵まれた状況における適応状態といえなくもないが、基本を忘れた現状への安易な適応は、大きな危険をはらんでいます。症状緩和の対症薬なら、飲まなくても、少しがまんすればまた回復してくるでしよう。しかし、どうしても飲まなくてはいけない抗生物質や喘息(ぜんそく)の薬など、飲めないと困ります。診察はパンツだけの裸の状態が基本ですが、少なくとも上半身で診察したいものです。出血斑や小さな腫瘤(しゆりゅう)など何が見つかるかわかりません。

きびしい状況にあっては、生存のために生活に真剣さがあり、そこでのふるまいそのものがしつけや教青になっていたと想像されます。生物学的生存に恵まれた現代にあっては、ちょうど飽食の時代にはカロリーコントロールが必要であり、車社会にあっては意識して運動が必要であるように、子供のより健全な発達のためには、親や家族は意識してしつけ教育を行わなければならないといえます。

近年、この点がよく意識されている家庭と、ややその意識に欠ける家庭とに二分極化しつつあるように思われます。それは幼児期の虫歯や、診察室での子供の態度、あいさつによく表れています。「次の方、どうぞ」と言うと、パンツ姿の子供がすたすたと診察室に入ってくるや「お願いします」と言ってちょこんといすにかけ、終われば「ありがとうございました」と保育所のゆうぎざながらに手をそろえておじぎして出てゆく。こんな子供に出合うと気持がよい。一人でも多く出合える事を願っている。