講演:意識して子育て

保育園保護者の会にお招き頂き、ありがとうございます。私は、伊賀市で小児科医院を開業しています。毎日、病気の子どもとその家族に接していて、いろいろ思うこと、感じることがあります。その一端をお話しし、子育ての参考になればと思います。

 

気になることと言えば、「何歳ですか」と問えば、「5」,「何年生ですか」と問えば、「3」、と省略し、「5歳です」、「3年生です」、とはっきり言う子供が少なくなりました。短縮、省略形はデジタル社会の適応の一面と言えなくもありませんが、やはり会話の基本形を身につけておく必要があります。

基本を身に付けた上で省略もありということで、そうでないと、場にふさわしい言葉を用いることができません。また、時々ですが、親をお前呼ばわりするなど、びっくりする言葉を吐く子供がいます。

さすがにその時は、そんな言い方をしてはいけませんと、看護婦ともども注意するのですが、言葉遣いには、幼児期より、日頃から注意していて、その都度正すことが大切です。

毎日診る子供たちの説明能力の弱さを心配しています。「どうしました」と尋ねても、自分の症状すらはっきりと言わない子が大勢いるのです。中・高生にもなって親の通訳を介しての問診という珍百景がそこにあります。これからの日本、大丈夫か、と思うほど心配になります。

 

価値観は、多様化してきています。患者さんには、この選択のほうが良いだろうと考え、確認のため聞いて見ると、驚いたことに、その逆を望んでいるということが少なくありません。時代も変わったと感じる瞬間です。

30年以上も前の研修医の頃ですが、治療判断を迫られ、迷った時には、自分の家族や親であればどうするかと考えなさいと指導医に教わりました。今では、医療者は予見を持たず、患者さんや家族の意見を聞いてその意向に沿うように努めなさいと研修医に話さなくてはなりません。

外来で見る子供の服装や髪型、装飾についても大きな変化があります。剃りこみ入りの奇抜な髪型や裾を踏みつけずり落ちそうなズボン、小学生のピアスも珍しくなく、高校生位になると鼻や口唇にも突き刺しています。著しい自由化です。これまでは、家族が、地域が、学校が許しませんでした。校則で規定していたものもありました。

 

高校の時の光景が忘れられません。クラスのAくんは、ぺたんこのカバンにステッカーを派手に貼ってあり、そのことで担任から叱られ、神妙に聞いていました。同じ価値観の中で生きていて、その逸脱を本人もわかっており、親のように注意してくれる担任の立場も受け入れていました。今では、中学生でも、先生にそんな事言われたくない、誰の迷惑もかけていない、自由だ、放っておいてくれと言い放つ事でしょう。そこまで言えば、先生方も引いてしまいます。

現在では、奇抜な服装や、痛々しいほどの装飾品も、自己表現の一つとして許容されてきています。一方、その見た目でステレオタイプの判断もされやすい。それ故に、言葉で、自分の考えや立場を主張して、解ってもらわないと、ただの変わり者で終わってしまいます。

 

個人情報保護条例が制定されてかなり経ちますが、その頃より、地域での子供や個人への関心とつながりが減ってきた様に思います。

名簿はもちろん、緊急連絡網も作れない状態です。知り合いの見舞いに行っても、受付では病室も教えてくれません。病室の入室氏名のプレートも番号のみで、まるで標本サンプルのようです。

私たちの時代は、高校・大学合格者は新聞地方版に「合格おめでとう」と、載りました。それはあたり前のことで、あそこの子供は、どこの大学に行っていると、地域の人は知っていました。知って欲しくないことまでも知られていた部分もありますが、それらを含めての親しみでありました。子供たちのちょっと気になる状況に接しても、一定の信頼と親しみが保たれていないと、注意することもためらわれます。下手に注意しようものなら、親に怒鳴り込まれることさえ起こりうるのです。

 

私たちの高度経済成長の時代は、そんなに深く考えなくても、大学に行き、あの人のような職業に就き、と、将来をおおよそに見通せる事ができました。今では、経済は低成長からさらには縮小へと向かい、終身雇用制も崩れ去ろうとしています。また、雇用の減少に加えて、国籍を問わないグローバルな採用となってきています。

今は、なかなか将来を見通せないし、世界を相手に大競争をしていかなくてはなりません。比較的将来が見通せた我々の時代でも中高生の時は漠然とした将来への不安があったのだから、今の中高生の不安は、相当なものだと思います。

不安といえば、今、子育て中の親自身が、強いストレスを受けていて、そのことの子育てへの影響も心配されます。抗不安薬を服用している親が意外と多く、この母親がと思える人までが、服用してびっくりします。

 

以上、見てきたように、価値観が多様化し、個人主義が一層強まり、世界が相手のストレスの多い社会の中で今の子供たちは育っています。

子供が一人で外国へ行き、そこで生き抜く状況をイメージして下さい。

今の日本の状況も、言ってみれば、昔に比べれば、外国にいるような状況とも言えなくもありません。自らが、言葉を発して、説明し、主張しないと、極端な話、無視されてしまいます。

周りの人が思い測って良いように取り計らってくれるということは期待できません。

自分の人となりを解ってもらえて、次に職業的な技量が問われるのです。

専門職としての技能や知識の習得はもちろん、それ以前に物おじしない表現力、説明能力を身につけておくことが第一です。この点は、親は意識して育てる必要があります。そんな戦略的な子育てが必要となってきているのです。

 

小児科受診も説明能力を身につけさせるよい機会です。

幼稚園児ぐらいになれば、家で受診の練習をして下さい。まずは、「こんにちは」と挨拶が言えて、そして、いつからどんな症状が出てきたかを言う練習です。

そして、実際の診察に臨んで下さい。帰りには車の中で、よく出来たことを褒めてあげて下さい。

日々の生活の中では、表現力を磨く訓練となる場面はいろいろあると思います。

親は先回りをせずに、子供に説明させて、その説明をちゃんと聞いてあげるという余裕ある態度が必要と思います。

そのような幼児期からの積み重ねが大切です。

 

歯列矯正を受けているお子さんが多くなりました。それは結構なことですが、私が思うに、子供の歯並びを心配すると同じ位には、必要な時にちゃんと話さないことにも心配して欲しい。歯科矯正にかける熱意と同等以上の熱意を表現・説明能力向上にも注いで欲しい。綺麗な歯並びで、言うべき事をちゃんと言えたら言うことありません。

土日は遠征に行かなくてはならないから、金曜日は学校を休ませて、遠征に備えます、と話す親子も少なくありません。習い事やクラブ活動が学校での授業より大切とする父兄は近頃、多く見られます。私達の時代は、学校が第一であり、そのようなことは考えられないことでした。個人や家族の考えが尊重される時代となりました。選択の幅が広がり、個人の才能を伸ばすという点ではよいことですが、そのマイナス点もあるはずです。それだけに親の判断が重要で、責任も重大です。

 

個人主義が強くなり、社会の価値観が多様化し、地域の人も先生方も、一歩引いた対応とならざるを得ません。ですから、以前にもまして、生き様を貫く、我が家の原理・倫理観、我が家の価値観が重要となってきています。それらを毎日の生活の中でちゃんと子供に向き合って、幼児期より伝えていかなくてはなりません。

拠って立つべき原理原則が確立していないと、これだけ多様化しストレスの多い社会の中にあっては、不安定で、時には社会を漂流することとなります。今、若者を捉えているものに、路上詩人や相田みつをのわかりやすい原則的な言葉や詩がありますが、現代の不安定な状況下で、若者は、そこに拠り所や指針を求めているようにも思えます。

 

最後に、子供にとっての家族・家庭の大切さです。外来でも、挫折し、逸脱する病める子供にもしばしば出会いますが、立ち直って行くためには、助けあう家族のいる安定した家庭が必要です。

ストレスの多い競争社会の中で、疲れ、傷ついた精神を癒し、そして気力を養うのも、助け合う家族のいる家庭です。家庭は戦いにおける基地ともいえます。皆様の家庭も、お子さんのためにも、どうか、安定した家庭であって下さい。

 

本日はご清聴ありがとうございました。